服装と性別の話を書きながら、もしかしたらジェンダー関係のカテゴリに該当するものがあるかもしれないと思って、なんとなく検索してみたんですよね。
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結果、「クロスドレッサー」というカテゴリがあることを知りました。
自分の性別とは反対の服装をする人のことを言うのだそうです。
私の場合は「男性の服装をしたい」というわけではなくて、「女性らしさが押し出される服装が苦手」という感じなので、厳密には当てはまらないのかもしれません。
単に「ユニセックスなテイストの服装が好き」なだけの人としてカテゴライズされるのかもしれないし、そうだとしてもなんの不都合もないわけですが。
でも「性別と着たい服装が一致しない人」というカテゴリがある、と知ったことで、なんとなく自分の立ち位置を考えることができます。
巷では、「カテゴライズされるのが嫌」という風潮があったり、逆に「どこまで行ってもカテゴライズされることからは逃れられない」みたいな考えもあったりして、なんとなく「カテゴライズ」という言葉にはネガティブなイメージがついて回る気がしますよね。
でも私は、「カテゴライズする視点」について考えることは、自分を新しい視点から客観視できるいい機会だと思っています。
今回の場合で言うと「服装と性別、という視点」ですね。
なんとなく違和感を感じてもやもやしていたものを、「服装と性別」という紙の上に一旦置いて客観視することができるわけです。
これを「ミニマリスト」というカテゴリで言えば、「持ち物の量と精神的豊かさ」という視点になるでしょうか。
(この辺は持ち物だけの話じゃないとか精神的豊かさじゃなくて別の何かだとか異論はあるかもしれません。少なくとも私の場合は、「ミニマリスト」というカテゴリを知ることで「持ち物の量と精神的豊かさ」の関係性について考えることができた、という話です。)
ミニマリストの定義は人によって様々です。
どこまで物を減らせるかに挑戦する極端な例もあれば、仕事の道具は多い方がいいけどそれ以外のものは必要最小限、みたいな人もいるでしょう。
そのいずれも「持ち物の量と精神的豊かさ(快適さや幸せと言い換えても良いでしょう)」という視点を持ち、その中でさらに物を減らす方向への関心を持っている点は同じです。
(この視点で物を集めたり増やしたりする方に関心が向くと、マキシマリストという領域に入っていくわけですね)
そのグラフのどこに自分の最適を設定するかは人それぞれだし、どれが正解というわけでもないでしょう。
ミニマリストさんのブログや動画などを見ていると、大抵一度はこのカテゴライズに関して言及されていて、ミニマリストを名乗ること、あるいは一括りにミニマリストと呼ばれることに対して疑問を持っていたり、他人から批判されたという経験談だったり、それを受けて自分なりの定義を宣言してみたり、いろんな形で「ミニマリストというカテゴリ」と向き合われてます。中にはそれを持て余してしまっている方もいたり。
これを別のカテゴリに置き換えてみます。
冒頭の服装と性別の話ですが、私は「クロスドレッサー」というカテゴリを知ることで、「この自分のもやもやは、こういう視点から見るとなんとなく説明がつく」と落とし所みたいなものを見つけられたわけです。
でも、この状態で「私はクロスドレッサーです」というのはいまいちしっくり来ないし、クロスドレッサーを名乗りたいわけでもない。
また、厳密な定義にこだわる人たちから見ると「お前はクロスドレッサーを名乗る資格なし」と不興を買うかもしれませんし、私はそれに対してはまあそうでしょうねと思うわけです。
でも、私の服装について詳しく話をしようと思ったら、「自分の性別と服装の性別に若干の違和感があり、完全にイコールではない」という話もおそらく出てくることになるでしょう。
それと似たような感じなんだと思います。
これが医師や弁護士といった免許を必要とする肩書きであれば話は簡単ですよね。
免許を持っているか、持っていないかという万人にわかる見分け方があるわけですから。
「ミニマリストかどうか」「クロスドレッサーかどうか」という話とは違い、「医者かどうか」という話には曖昧さの入る余地はないわけです。
個人的には、こういうカテゴライズというのはあくまで「ある視点から見てどういう位置にいるか」を意識するためのものであって、同じカテゴリに引っかかっているからといって、簡単にひとまとめにできるようなものではないと思います。
なのにそれを肩書きやステータスのように扱おうとすると、「お前にはその資格なし」みたいな発言になったりするんでしょう。
そんなふうに考えているので、「ミニマリストになるには」「ミニマリストになろう」みたいな発言や記事を見ると違和感を覚えます。
結局のところカテゴリというのは、自分を知るにはいいけど、自分を説明しようとしてもそれ一言では到底足りるものではないのだと思います。